伊奈忠次と西方寺
徳川幕府の財政基盤を固め、100万都市・江戸の基礎を築いた代官頭、伊奈忠次。その原点は愛知県西尾市小島町にあります。
西尾で生まれ、家康を支える
1550年、小島城主・伊奈忠家の嫡男として誕生。一時は父と共に三河を追われる苦難を味わいますが、「本能寺の変」の際には家康の「伊賀越え」に同行。その功績により旧領である小島郷を安堵され、徳川家への帰参を果たしました。
「地方巧者」としての才覚
家康の関東入国後は、現在の埼玉県北足立郡伊奈町(小室)を拠点とし、関東代官頭として1万3千石を拝領し活躍。利根川や荒川の付け替え工事をはじめ、検地、新田開発など、現代の関東平野の原型を作る大規模な国土強靭化を成し遂げました。
今も息づく歴史の絆
忠次ゆかりの地として、西尾市小島町の「西方寺」には今も彼の位牌が安置されています。 令和7年6月に埼玉県北足立郡伊奈町の町長が同寺を訪れるなど、時を超えた交流が続いています。
伊奈備前守忠次の位牌
古城図(昭和56年12月)
この古城図は広島県中央図書館『浅野文庫諸国古城図、昭和56年12月編者矢野和彦 新人物往来社刊』より複写したものです。この図は天和3年(1683)の成立で当寺の位置を明かす貴重な資料です。(浄土宗 西方寺前住職 原田進道)
伊奈備前守忠次
まんが/しげおか秀満